猿払村5年ホタテ

北海道北部にある猿払村は、

ホタテの水揚げ日本一。

乱獲により壊滅したホタテ産地は

稚貝の大規模放流により復活。

徹底した資源管理により、

安定した水揚げ量を継続している。

現在地:ホーム北海道の名物水産物宗谷・オホーツク

猿払村(さるふつむら)

北海道北部にある村。

最北の稚内市の南東に位置し、

オホーツク海に面する。

北海道の村で一番大きく、

豊富な自然が残り、漁業と酪農が盛ん。

北海道最北の村でもある。

ホタテの水揚げ量が凄まじく、

その歴史も含め、ホタテの村として有名。

ホタテ

食用として人気の二枚貝。

生息域は、北海道から東京くらい。

大部分を北海道で水揚げ。

サケ・昆布に並ぶ、北海道名物。

稚貝育成技術が確立され、

さらに放流・養殖技術も発展。

海中にロープなどにぶら下げる垂下式と、

海底に稚貝を撒く地撒き式の2つがメイン。

垂下式が北海道の西部・南部、

地撒き式が北部・東部、で行われる。

タンパク質も豊富で、低カロリー。

疲れに効くタウリンも多く含まれる。

特有の甘み(成分:グリコーゲン)を持つ。

ホタテは貝柱以外の部分も殆ど食べられる。

ホタテの卵やミミも美味しい。

黒い塊、ウロ(中腸腺)は食べちゃダメ。

刺身・お寿司・海鮮丼、

フライやステーキなども人気。

お吸い物・鍋もの・煮物も

強い出汁が出て旨い。

その貝柱は生でも加熱しても美味しい。

強い出汁が出ることも特徴。

乾物のホタテ貝柱は、古くからある加工品。

味が凝縮・熟成し、旨い出汁が取れる。

軽く小さく美味しくなるということで、

昔から重要な輸出品目であった。

生鮮での出荷の他、むき身加工や

冷凍加工、調理加工も盛んに行われる。

加工品は、日本各地のみならず、

高品質の日本ブランドとして、

成果各地へと輸出される。

各産地では、特産物としてイベントの開催や

地元グルメ開発などが行われている。

猿払の困窮

猿払村の前浜はもともと天然ホタテの好漁場。

戦後すぐまで多くの漁獲量があり、

一万トンを超える年もあった。

豊富に獲れたニシンとともに、

村の漁業の柱となっていた。

ホタテは天然だったので、獲り過ぎれば

資源枯渇までまっしぐら。

昭和20年代後半には水揚げ量も激減し、

1000トン程度になってしまう。

昭和30年代に入るとほぼ壊滅。

ニシンもまた、昭和29年を最後に姿を消す。

陸側の産業としては、

炭鉱業や製紙向けの林業などがあったが、

資源枯渇や需要の変化により撤退・縮小。

昭和40年頃には、

漁業・鉱業・林業の全てがダメ。

わずかに残るは酪農か、という状況に陥る。

その頃の猿払村を象徴するのが、

「貧乏見たきゃ猿払行きな」という言葉。

人どころか、村そのものが貧しい、という

にっちもさっちもいかない状況だった。

生活していけないので、漁師をはじめ、

多くの人が村を離れることになった。

北海道で一番貧しい所、それが猿払村だった。

猿払の復活

もうどうしようもないなー・・・な感じだったが、

昔はよく獲れたホタテに一縷の望みを託す。

前浜の環境を生かした根付き漁業と呼ばれる

栽培型漁業への特化を目指す。

ある程度まで育成したものを海に放流し、

育ったところを漁獲するやり方。

昭和40年代初めは、

ちょうどホタテの育成技術も安定してきた頃。

先にホタテ養殖を行っていた噴火湾での

勉強や水産試験場などの協力もあり、

なんとかなりそうな気がしてきた。

で、放流を始めてみるが、

100万粒程度では焼け石に水。火事にジョウロ。

一気に状況を変えるべく、

10年にわたる漁場整備計画が立てられた。

1000万粒規模で継続放流しようというもの。

多くのお金がかかることが予想されたが

村の少ない予算や補助金、積立金などを

かき集めてなんとか始められた。

ここまで大規模なホタテ放流は前例がなく、

強い潮流に流されてしまわないか、

生き残ってくれるのか、など

大きな不安もあった。

昭和47年(1971)に

本格的な大規模稚貝放流がスタート。

ヒトデを浚ってキレイにした前浜に

1000万粒を優に超える稚貝が放たれた。

育成状況に一喜一憂しながら迎えた3年後、

水揚げ量は予想を大きく上回る1600トン。

稚貝の数をどんどん増やしていたことにより、

翌年からは収量が飛躍的にアップ。

養殖ではなく放流という方法のため、

自然増殖もあり、収量を押し上げた。

10年計画の後半には、3万トン以上を

安定して水揚げするまでになった。

ホタテ漁が復活したことで、

村を離れていた人も戻り、活気も戻った。

そして、計画の10年を終える頃、

猿払村は北海道で一番裕福な所になっていた。

目の前に良い漁場があり、

養殖技術が進歩したことの他に、

漁業が一旦ほぼ壊滅したことにより

皆でやって生きていくという

組織運営ができたことも大きい。

放流・育成・管理のノウハウを蓄積し、

現在もなおホタテ水揚げ量は

日本トップクラスを維持している。

収入が劇的に増えたことで、

人々の生活もうるおった。

ほったて小屋から新築の家になった。

漁業周りの整備だけでなく、

年金など福祉面でも充実。

まずは外に出荷できる土台を強くし、

入ってくるお金の流れを太く長くし、

入ってきたお金はどんどん回して、

さらにでっかい循環にしていく。

ホタテを中心とした成長のスパイラルに

乗れたことで、村は栄えている。

また、猿払での成功を受け、

ホタテの放流事業はオホーツク海沿岸の

各地へと広まっていくことにもなった。

稚内から網走に至るオホーツク海沿岸は

ホタテロードとも呼ばれ、

毎年膨大な量のホタテを水揚げしている。

猿払のホタテ漁業

猿払村の目の前にあるオホーツク海は

流氷の影響もありプランクトン豊富。

日本海から宗谷海峡を通り

暖流の対馬海流も流れ込み、

交差する海流はさらにプランクトンを育てる。

村の広く残された森や湿原などから

川を伝って流れ込む陸の栄養分もあり、

猿払村の前浜は栄養たっぷりの海が広がる。

猿払の前浜は浅く広い遠浅の地形をし、

その海底には細かい砂利が広がる。

栄養の面でも住処の面でも、

ホタテの育つ環境に最適といえる場所。

この環境に放流された幼いホタテは

4年という長い時間をかけ、じっくりと育つ。

猿払の地撒き放流は、漁場を5つに区分けし、

年ごとに放流・漁獲場所を替えていく、

輪採制というやり方。

猿払のホタテシーズンは、

早春の漁場造成作業から始まる

前年の操業エリアで残したホタテの回収や

海底の確認・掃除など。

そして毎年恒例の稚貝放流が4月に行われる。

ただたくさん撒くのではなく、

丁度いい密度になるよう考えられる。

本格的なホタテ漁は、放流後の4月末から。

6月頃から10月頃にかけてが漁の最盛期。

貝柱も太く育って食べ頃の時期。

年間を通し、育成状況や分布状況など

ホタテの資源調査は欠かせない。

ヒトデなどホタテの敵となる生物の

駆除も必須。一匹残らず、な勢いです。

限られた場所を最大限に活用し、

しっかりと管理していく。

漁業というより農林業に近い感じ。

ホタテの加工場も複数あり、

むき身や冷凍品に加工される。

干し貝柱への加工も行われ、

天気のいい日は天日干しの光景も見られる。

ホタテの加工工程では、安全面に特化した

HACCP(ハサップ)という管理手法も導入。

量の多さに加え、安全性にも自信あり。

日本を代表するホタテ産地として

中華圏やヨーロッパへも輸出される。

猿払のホタテを食べる

猿払の5年ホタテは十二分に育ち、

その身もパンパン。

4年物にくらべ、一回り大きくなった姿は

ベテランの雰囲気すら漂う。

その肉厚の貝柱は一つでも満足なほどの

食べ応えと味わいの強さをもつ。

刺身・お寿司・海鮮丼など主役を張れる。

スライスしても十分な歯ごたえを持つ。

火を通してさらに旨い。

ホタテのほどける繊維質の感じ、

特有の甘さ・香りもアップする。

しゃぶしゃぶ・ステーキ・フライなど。

汁物との相性も抜群。

強烈な出汁が取れるため、

お吸い物や鍋物・煮付けにしても旨い。

炊き込みごはんやチャーハンにしたり、

身をほぐして他の料理に混ぜても旨い。

イベント・キャラ

ホタテ漁も真っ盛りの7月に行われるのが、

「さるふつ観光祭り」。

主役はやっぱりホタテの特売。

箱単位でどんどん買われ、

多い人は台車での運搬が必須。

魚のつかみ獲りなども人気。

村のキャラクターは「さるっぷ」

サルっぽいかわいい系。

頭に金色のホタテ王冠を載せている。

漁協のサイトにも

ホタテに詳しそうなキャラがいる。

外部リンク

猿払村漁業協同組合

漁協の紹介

猿払村

自治体公式サイト

猿払村観光案内

観光情報やイベント情報など

Google検索 「猿払村 ホタテ」

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