テンサイ 砂糖と日本

甘い砂糖。その誘惑は強い。

元々日本では作られず輸入に頼った。

暖地でのサトウキビ栽培、台湾での

サトウキビ栽培と敗戦、を経て、

北海道でのテンサイ製糖が中心に。

名物一覧での現在地
北海道の名物農産物根菜類テンサイ

日本と砂糖

砂糖は元々、日本に無かった食材。

日本で作れなかったが、

出会ってしまった後は、

その甘さ・魅力には勝てず。

日本と砂糖の関係は、

かなり波乱万丈な感じ。

砂糖・サトウキビ・テンサイに加え、

お金や戦争などが、色々と絡み合う。

日本と砂糖

大昔の日本に砂糖は無く、

8世紀に鑑真が持ち込んだのが、

お初だったらしい。

とても貴重だったので薬扱い。

大陸との交易で輸入され、

16世紀ごろから始まった

ポルトガルなどとの交易で、

輸入はさらに加速。

自分トコで作れないから

買うしかない。

買うには対価が必要。

砂糖を得る代わりに、

大量の金・銀が流出。

戦国時代から江戸時代の日本は

かなりの金銀産出国だったが、

次第に枯渇が顕著に。

これはやばい、ってんで

サトウキビの栽培も開始。

沖縄や西日本の瀬戸内海など

暖かい所で栽培された。

ここで18世紀はじめ。

徳川吉宗の時代。

19世紀半ばに明治時代が始まる。

外国との交易もオープンになり、

白砂糖の輸入が一気に増える。

サトウキビ産地は沖縄周辺だけに。

同時期に、もう一つの砂糖原料、

テンサイが海外から導入される。

テンサイ、日本上陸

テンサイが日本へやって来たのは、

明治時代になってから。

明治3年(1870)に、

東京へと持ち込まれた。

ヨーロッパでテンサイ製糖が

本格化・安定化してから

まもなくのころ。

同時に、繊維や採油用の亜麻、

ビール原料となる二条大麦、も来日。

一応、仲間のフダンソウや

ホウレンソウは、シルクロード経由で

既に日本に来ていた模様。

テンサイ栽培・製糖の失敗

テンサイ栽培の盛んな

北部ヨーロッパに似た気候っぽい

東北や北海道で栽培が試されるも、

失敗の連続。

広めに栽培したり、

製糖工場を作ったりと、

色々手をかけたが、

収益化には至らず。

テンサイ栽培技術の未確立、

収量の少なさ・不安定さ、

製糖技術の未成熟、など

まだまだ感が強く現れた感じ。

20年ほど頑張ったが、

1900年ごろに一旦ナシに。

一応、栽培研究は細々と

北海道で続けられていく。

台湾のサトウキビ

1895年に日本は清に戦争で勝ち、

台湾を手にした。

日本は工業化を進め、

台湾は農業部門を担う、

といった感じで役割分担。

台湾は亜熱帯にあり、

サトウキビ栽培に向いた気候。

製糖会社も作られ、

日本本土へたくさんの砂糖を

送り出すことに成功。

台湾のおかげで、

元々砂糖の無かった日本も

需要を満たすだけの砂糖を得る。

この状況は、日中戦争や

太平洋戦争が起こり、

そして降伏し、日本が台湾から

手を引くまで続くことになる。

再テンサイ

1900年代から出回り始めた

台湾産砂糖により、

テンサイの栽培は

あまり必要ではなくなったが、

栽培研究は続けられていた。

ヨーロッパでは1914年から

第一次大戦が勃発。

テンサイの主産地であった

北部ヨーロッパが戦場となり、

伴ってテンサイ砂糖が激減。

テンサイから砂糖を作るのも

大事よね、ってことになり、

また北海道でテンサイ作りと

製糖が始まる。1920年ごろ。

場所は、現在も産地となっている

十勝エリアとオホーツク海沿岸の

南東部あたり。

再出発した北海道での

テンサイ栽培と製糖は、

徐々にノウハウを蓄積していく。

しばらくは収量の低さと

栽培の安定化に苦心する。

希望としては、その頃多かった

冷害に対する強さぐらい。

負けて失った砂糖

大きな区切りが、

太平洋戦争での敗北。

限界まで疲弊した日本は降伏。

台湾統治からも手を引く。

当然、台湾で作られる

サトウキビ及び砂糖も手放す。

国内産地であった沖縄も

戦場となり、アメリカの統治下に。

食料が根本的に足りないが、

その中でも砂糖はかなりの不足。

配給による制限も行われた。

北のテンサイ

南のサトウキビ産地を失ったことで

重要性の増した北海道での

テンサイ栽培と砂糖。

十分とは言えないながらも、

日本各地へ砂糖を供給。

急速に復興する日本を支えた。

1961年、テンサイにも大きな転機。

ペーパーポット方式と呼ばれる

テンサイの苗作りが実用化される。

雪解けの遅い北海道では、

栽培の開始も遅くなる。

栽培期間が短いと、成長が遅れ、

収量は低めになってしまう。

ペーパーポット方式は

雪解け前からビニールハウスを用意。

紙筒に土と種子を入れ、

ハウス内で苗を育てておく。

春になったら苗を紙筒ごと

畑に植える、というやり方。

育成期間をしっかり取れて

収量もアップすることになる。

元気な苗から始まる農業は、

基本的にうまくいくものですし。

栽培技術も確立されたことで

北海道でのテンサイ収量は、

本場ヨーロッパに並び、

追い越すほどにまでなった。

テンサイと輪作と大規模化

1960年代以降、

北海道農業の大規模化と機械化も、

本格的に始まる。

土地の集約による大規模化、

排水性向上による根菜栽培、

トラクターや化学肥料の導入、などで

北海道型の輪作が安定化しだす。

手間のかかる高めの作物は

なかなか作れない。

本州の消費地から遠いし。

手間がかからず、保存もきく、

そんな作物を組み合わせて

輪作で大量に作っていく。

基本的に値段は安めなので、

大規模化・効率化・機械化は

北海道農業で稼いでいくには

とても重要な変化だった。

テンサイは、北海道型の輪作を

支える作物の一つとなり、

現在でも北海道農業において

重要な存在となっている。

帰って来たサトウキビと共に

1972年には沖縄も返還。

国内産サトウキビも本格復活。

現在は、北のテンサイと

南のサトウキビの両輪体制で、

日本産砂糖を作っている。

割合としては、テンサイが7、

サトウキビが3、ぐらい。

砂糖の国内自給率は3割ほど。

自給率3割ですか。んーむ。

これを高いとみるか、低いとみるか、

非常に複雑で難しいでございます。

外部リンク

テンサイ – Wikipedia

テンサイについて色々

サトウキビ – Wikipedia

サトウキビについて色々

Google 検索

「テンサイ 日本 歴史」

「日本 砂糖 歴史」

名物一覧での現在地
北海道の名物農産物根菜類テンサイ

タグ: ,